Research
研究
Summary of Research Accomplishments
これまでの研究業績の概要
私の研究は、量子重力理論、とりわけ超弦理論とブラックホールの量子力学を中心に展開されています。
量子重力理論は、一般相対論と量子力学を統合する理論として長年研究されてきました。その理解において重要な概念の一つが、超弦理論から導かれたゲージ重力対応(ホログラフィー)です。本研究では、この枠組みを用いて、量子重力の基礎構造を具体的に検討してきました。とりわけ、ブラックホールは量子重力理論の基本的な試金石であり、その量子論的理解を主要な研究対象としてきました。
一方で、ブラックホール研究は量子重力にとどまらず、ゲージ重力対応を通じて物性物理、原子核物理、宇宙論、量子情報理論など多様な分野と接続します。そのため本研究は、ブラックホールを出発点としつつ、理論物理学の広範な領域にわたる問題へと展開されています。
以下では、研究業績を大きく二つのカテゴリーに分けて紹介します。一つは量子重力理論およびブラックホールに関する研究、もう一つはそれらを基盤とした理論物理学への応用研究です。
Result 1
量子重力理論とブラックホールの研究業績
まず、私の過去のブラックホール研究の代表的な成果を以下列挙します。
※以下参考文献は、私の論文リストの論文番号に対応。
●漸近的平坦な時空中のブラックホール内部のisland(島)
●量子ブラックホールの有効模型である飯塚 - Polchinskiモデルの提唱と情報回復/損失
●ゲージ理論がどのような条件下でブラックホールと等価な系になりうるか
●ブラックホールのホライズンとゲージ理論の対称性の回復の双対性
●ブラックホールの外側の時空のゲージ理論での再現
●超対称性のないextremalブラックホールのアトラクター機構
●3次元量子重力理論の経路積分
●ゲージ理論のcomplexity(複雑性)の定量計算
●ブラックリング(ブラックホールのホライズンがドーナツ型)の微視的なエントロピー計算
アインシュタインの一般相対論によれば、時空が極限まで強く曲がった状態がブラックホールです。ブラックホール内部の情報は、その強大な重力のため、古典的には外部へ取り出すことができないと考えられてきました。1970年代、ベッケンシュタインやホーキングらは、ブラックホールの表面積という幾何学的量がエントロピー、すなわち情報量に対応することを示し、ブラックホールが温度をもち熱力学に従って振る舞うことを明らかにしました。同時にホーキングは、量子的効果によってブラックホールが熱輻射を放出し、やがて蒸発することを理論的に示しました。この過程をそのまま受け入れると、内部の情報が最終的に失われるように見え、量子力学の基本原理と整合しない可能性が生じます。これがブラックホールの情報損失問題です。この議論は、古典的な一般相対論を背景に、その時空上での場の量子論を適用するという枠組みに基づいています。
もしブラックホールの蒸発が完全に熱的な放射に基づいて進行するのであれば、それは量子力学の基本原理が成立しないことを意味します。一方で、ゲージ重力対応(AdS/CFT対応)は、量子重力理論が量子力学に従うゲージ理論と等価であることを示唆しています。この立場に立てば、量子重力理論においても情報は保存されると考えられます。
このように、ホーキングの議論とゲージ重力対応は、一見すると異なる結論を導くように見えます。私のこれまでの研究は、この両者がどのように整合するのかを理論的に明らかにし、ブラックホール情報損失問題の本質を精密に検討することに取り組んできました。
漸近的平坦時空のブラックホール内部のisland(島)
ホーキングによるブラックホール情報損失の予言は、ゲージ重力対応の観点からは緊張関係にあります。量子重力理論が量子力学に従うゲージ理論と等価であるならば、蒸発過程もユニタリーであるはずだからです。このことは、情報損失問題が、従来の半古典的近似では十分に捉えられていない量子重力効果に起因する可能性を示唆しています。2019年にはこの理解に重要な進展がありました。Penington(2019)らは、蒸発の進行に伴いブラックホール内部に island と呼ばれる領域が有効に現れることを示し、その寄与を考慮することで蒸発過程が量子力学と整合することを提案しました。
これらの議論は主としてゲージ重力対応が成立する状況に基づいています。私は、漸近的平坦時空における重力理論へと解析を拡張し、island の構造がゲージ重力対応に依存せず現れることを理論的に示しました[50], [49]。 その結果、ブラックホール蒸発のユニタリー性は、Anti-de Sitter 時空に限られた性質ではなく、より一般的な重力理論においても実現され得ることが示されました。
これらの研究では、ゲージ重力対応の枠組みにとどまらず、一般の重力理論のもとでブラックホール蒸発が量子力学の原理に従うことを具体的な解析により明らかにしました。 本成果は広く参照され、Quanta Magazine においても紹介されています。
[50] K. Hashimoto, N. Iizuka and Y. Matsuo,
"Islands in Schwarzschild black holes,"
JHEP 06, 085 (2020) doi:10.1007/JHEP06(2020)085 [arXiv:2004.05863 [hep-th]].
[49] T. Anegawa and N. Iizuka,
"Notes on islands in asymptotically flat 2d dilaton black holes,"
JHEP 07, 036 (2020) doi:10.1007/JHEP07(2020)036 [arXiv:2004.01601 [hep-th]].
*1 関連記事のURL:https://www.quantamagazine.org/the-most-famous-paradox-in-physics-nears-its-end-20201029
Gauge/Gravity対応に基づく量子ブラックホールの有効行列模型(IP model)と、ゲージ理論がブラックホールと等価に振る舞う条件の解析
ホーキングの情報損失の議論は、時空を古典的に扱う半古典近似に基づいています。一方、量子重力理論では時空自体が量子的自由度です。ゲージ重力対応の枠組みにおいて、時空の古典近似に対応する極限をゲージ理論側でとった場合に、どのような有効的情報損失が現れるのかを明確にすることが課題となります。
私はこの問題に対し、ゲージ重力対応の有効行列模型を構成し[15], [14]、半古典的極限で現れる非ユニタリーな振る舞いと、完全な量子論としてのユニタリー性との関係を解析しました。10次元重力理論に対応するゲージ理論を簡約化した模型[14]は、IP模型として知られています。
これらの模型は、ゲージ理論がブラックホールと等価な熱的系として振る舞う条件を明示的に示す枠組みを与えます。本研究はその後の関連研究において参照され、Maldacena–Stanford(2016)、Sekino–Susskind(2008)、Gross–Rosenhaus(2016)などの研究やレビュー記事https://arxiv.org/abs/1102.3566、ならびに講演等でも言及されています。
[15] N. Iizuka, T. Okuda and J. Polchinski,
"Matrix Models for the Black Hole Information Paradox,"
JHEP 02, 073 (2010) doi:10.1007/JHEP02(2010)073 [arXiv:0808.0530 [hep-th]].
[14] N. Iizuka and J. Polchinski,
"A Matrix Model for Black Hole Thermalization,"
JHEP 10, 028 (2008) doi:10.1088/1126-6708/2008/10/028 [arXiv:0801.3657 [hep-th]].
*2 より技術的に述べると、ゲージ重力対応ではゲージ群 SU(N) の次数 N とニュートン定数 G_N の間に G_N ∝ 1/N^2 の関係が成立します。半古典極限 G_N → 0 は N → ∞ 極限に対応します。この極限では、自由度の数が N^2 に比例して増大し、系は有効的に熱浴のように振る舞います。その結果、ブラックホールに対応する側では、情報が一方向的に失われるように見える半古典的挙動が現れます。我々はこの構造を明示的に解析するため、ゲージ理論を簡約化した有効行列模型を構成し、large N 極限においてスペクトルが離散的構造から連続的構造へ移行することを示しました。また、't Hooft 結合 λ の増大に伴い、相関関数が指数関数的に時間減衰する挙動が現れることを具体的に解析しました。
ブラックホールのホライズンとゲージ理論における対称性回復点
これらの研究の出発点は、重力双対をもつゲージ理論の有効理論を用いて、ブラックホールのホライズン構造がゲージ理論側でどのように現れるかを検討した研究[1]にあります。そこでは、ブラックホールのホライズンが、対応するゲージ理論における対称性回復点として理解できることを示しました。
この枠組みに基づき、ブラックホール内部自由度の有効的記述を与え[3]、さらにブラックホール外部の時空計量がゲージ理論の計算から再構成されることを解析しました(図3参照)。
これらの結果は、量子力学的自由度と重力的記述との関係、ならびに重力双対が成立する条件を具体的に検討する基盤を与えるものです。
非超対称ブラックホールにおけるアトラクター機構
超対称ブラックホールにおいては、ホライズン上でスカラー場(モジュライ)の値が保存電荷のみによって決定される「アトラクター機構」が存在することが、Ferra–Kallosh–Strominger(1995)により示されました。この機構は、ホライズン近傍の物理量が無限遠での境界条件に依存せず、電荷によって普遍的に定まるという性質を持ちます(図4参照)。
私たちは[8]において、この機構が超対称性に依存せず、温度ゼロのブラックホールにおいてある条件下で一般に成立することを示しました。これにより、アトラクター機構の成立条件が対称性ではなく、地平線近傍の極限構造にあることが明確になりました。
この結果は、ブラックホールのゼロ温度極限におけるエントロピーが保存電荷のみによって決定されるという量子論的期待と整合的です。すなわち、高い縮退をもつ基底状態としてのブラックホールの性質は、対称性の有無に依存せず、保存量によって支配されることが示唆されます。
本研究は、ゲージ重力対応の観点から重力側の普遍構造を理解する一例を与えるものです。
図4 超対称性のない温度ゼロブラックホールにおける新しいアトラクター機構の発見
ブラックホールホライズンでは質量ゼロの粒子の真空期待値がブラックホールの電荷のみで決定されます
3次元量子重力理論の経路積分の厳密計算
3次元量子重力は、4次元量子重力を理解するための基礎的な理論として長く研究されてきましたが、量子重力の経路積分を非摂動的に評価することは容易ではありませんでした。私たちは[39]において、3次元チャーン–サイモンズ理論と3次元純粋重力理論が古典的に等価であることに着目し、この構造を量子論に拡張しました。
具体的には、理論に補助場を導入して超対称化を行い、量子論における経路積分を適切に定義した上で、局所化(localization)の手法を用いることにより、3次元量子重力の非摂動的分配関数を計算しました。本研究は、量子重力の経路積分を制御された形で評価する具体例を与えるものです。
関連する紹介記事:
https://www.sci.osaka-u.ac.jp/ja/topics/4315/
*3 より技術的には、得られた分配関数は双対な2次元CFTの真空およびブラックホールに対応するプライマリー状態のキャラクターの和として表されます[41]。その係数構造から、ブラックホールの縮退度が再現され、これは3次元ブラックホールのエントロピーと一致します。また、分配関数の漸近展開から得られる量子補正は、Bekenstein–Hawkingエントロピーに対する既知の量子補正と整合します。さらに、この解析をスピン3以上の場を含む3次元重力理論へ拡張すると、対応する分配関数は2次元CFTの W_N 対称性キャラクターの和として同様に表されることを示しました[42]。
ゲージ理論における量子複雑性(complexity)の定量的定義と計算
ゲージ重力対応は、ブラックホールとゲージ理論の熱平衡状態の対応を示唆します。一方で、量子論においては、熱平衡に達した後も状態はユニタリーに時間発展を続けます。このような巨視的熱力学量では捉えられない微視的構造を定量化する指標として、量子情報理論における complexity(複雑性)が提案されています。
従来、複雑性の定義と計算は主にスピン系において議論されてきましたが、ゲージ重力対応の観点からはゲージ理論における定式化が重要となります。私は[45], [48]において、ゲージ理論における複雑性の定義を与え、その時間発展を具体的に計算しました。本研究は、ゲージ理論の力学と量子情報量の関係を解析する枠組みを与えるものです。
[45] K. Hashimoto, N. Iizuka and S. Sugishita,
"Time evolution of complexity in Abelian gauge theories,"
Phys. Rev. D 96, no.12, 126001 (2017) doi:10.1103/PhysRevD.96.126001 [arXiv:1707.03840 [hep-th]].
[48] K. Hashimoto, N. Iizuka and S. Sugishita,
"Thoughts on Holographic Complexity and its Basis-dependence,"
Phys. Rev. D 98, no.4, 046002 (2018) doi:10.1103/PhysRevD.98.046002 [arXiv:1805.04226 [hep-th]].
ブラックホールの微視的エントロピーの導出
超弦理論は一般相対論を包含する量子重力理論であり、高エネルギー領域ではその高次補正が重力解の構造に本質的な影響を与えます。私たちは[7]において、超弦理論の高次補正がホライズン形成に寄与するタイプのブラックホール解を構成しました。このブラックホールについて、ホライズン面積に基づくエントロピーを解析し[9]、同時に超弦理論における微視的状態数の計数から得られるエントロピー(log W)を計算しました。両者を比較した結果、面積公式に対する高次補正を含めて一致することが示されました(図5参照)。本研究は、ブラックホールエントロピーの微視的起源を超弦理論により具体的に検証する一例となっています。
Black hole及びBlack ringのエントロピー計算
図5 ブラックホールのエントロピーの微視的計算
*4 例えば、Einstein Hilbert action に対して
という補正が加わります。ここでa, b, c, · · · は超弦理論によって決まる特定の値です。
*5 よりテクニカルには、これはブラックホールの一種で、ホライズンの大きさが、弦の長さ程度で、ブラックリングと呼ばれる、ホライズンがドーナツの形をしたものです。
Result 2
様々な理論物理学全般への応用研究
前述のとおり、私の研究の中心は量子重力理論にありますが、その枠組みは物性物理、ハドロン物理、量子情報理論、相対論、宇宙論など多様な分野と接続しています。図6は、これまでに発表した論文のタイトルに含まれる主要なキーワードを示したものです。そこからも分かるように、研究テーマは弦理論や重力にとどまらず、理論物理学の複数の領域に広がっています。これらの研究は個別に独立したものではなく、量子重力およびゲージ重力対応という共通の基盤のもとで展開されています。ブラックホールやホログラフィーは、異なる物理現象を統一的に理解するための理論的枠組みを与えます(図7参照)。その結果として、分野横断的な研究へと自然に広がっています。
過去の私の論文のタイトルに含まれたキーワード
図6 過去の私の論文のタイトルに含まれたキーワードの一覧
図7 ゲージ/重力対応は、超弦理論にとどまらず様々な物理現象を理解する強力な「道具(ツール)」でもあります。
専門家向けに付言すると、ゲージ重力対応は、強結合のゲージ理論が弱結合の弦理論、すなわち重力理論と対応するという枠組みを与えます。弦理論は、整合的な量子重力理論の具体的実現として理解されており、その中でブラックホールは重力効果が顕著に現れる基本的対象です。
この観点から見ると、弱結合側での弦理論におけるブラックホールの解析は、強結合ゲージ理論の非摂動的現象の理解と対応しています。すなわち、ブラックホールの研究は、ゲージ理論における強結合物理の構造を探ることと表裏一体の関係にあります。この視点は、量子重力研究を出発点としつつ、理論物理学の諸分野への応用へと展開する本研究の基盤をなしています。
以下では、各分野への応用研究の代表例を紹介します。
●場の量子論への架け橋:場の理論のエネルギーテンソルTµν の整合性条件(CANEC)
●原子核理論への架け橋:原子核核力の計算と中心斥力
●物性理論への架け橋1:非フェルミ流体の存在判別式
●物性理論への架け橋2:一様だが、単純な並進対称性をもたない強結合場の量子論の真空の分類
●物性理論への架け橋3:永久電流に双対な重力解、およびLandau-Tiszaの超流動二流体モデルの関係式
●宇宙論への架け橋:フラックスコンパクト化とmoduli問題を解決した超弦理論インフレーション
そして以下これらについて手短に解説します。
場の量子論への架け橋:場の理論のエネルギーテンソルTμνの整合性条件(CANEC)
どのような場の理論が整合的な量子論として成立するかは、基礎的な問題の一つです。エネルギーの観点からは、エネルギーテンソル Tμν がどのような制約を満たす必要があるかという問いに帰着します。とりわけ、Casimir energy のように局所的に負のエネルギー密度が現れ得ることを踏まえると、摂動論に依らず一般的な制約を与えることは重要です。
私は[48], [51]において、重力双対をもつ場の理論に対し、対応する重力理論の因果構造からエネルギー条件を導出しました。その結果、ストレステンソルの null 方向に沿った平均値が正であるという条件、すなわち CANEC(conformally invariant averaged null energy condition)が成立することを示しました。
本研究は、双対時空の因果律という一般相対論的構造を用いて、曲がった時空における場の量子論に対する非摂動的制約を与えるものです。
[48] N. Iizuka, A. Ishibashi and K. Maeda,
"Conformally invariant averaged null energy condition from AdS/CFT,"
JHEP 03, 161 (2020) doi:10.1007/JHEP03(2020)161 [arXiv:1911.02654 [hep-th]].
[51] N. Iizuka, A. Ishibashi and K. Maeda,
"The averaged null energy conditions in even dimensional curved spacetimes from AdS/CFT duality, "
JHEP 10, 106 (2020) doi:10.1007/JHEP10(2020)106 [arXiv:2008.07942 [hep-th]].
原子核理論への架け橋:原子核核力の計算と中心斥力
ゲージ重力対応は、large N 極限の SU(N) ゲージ理論と量子重力理論の対応を与えます。この枠組みにおいてクォーク自由度を導入することで、large N QCD の強結合領域を重力側から解析することが可能となります。この研究分野は一般に Holographic QCD と呼ばれます。
私は原子核物理への応用として、任意個のバリオンのダイナミクスを記述する行列理論(核力行列模型)を、超弦理論の設定のもとで導出しました[18]。この模型から、核子スペクトラムおよび二体核力を系統的に導出し、さらに三体相互作用も解析しています[19]。
また、本模型の一般的構造から、近距離二体核力に中心斥力が現れることを示しました[18](図8参照)。これらの結果は、ゲージ重力対応を用いた核力の理論的理解の一例となっています。
"String theory derivation" of the short-distance nuclear force
図8 large N QCDの原子核行列模型における近距離中心斥力の出現
物性理論への架け橋1:非フェルミ流体の存在判別式
高温超伝導に関連する量子臨界点では、準粒子描像が破綻し、非フェルミ流体的挙動が支配的となります。このような強相関系の解析は一般に困難ですが、その理由は、臨界点の物理が強結合の場の量子論に支配されているためです。
ゲージ重力対応は、強結合の場の量子論を重力理論を通して解析する枠組みを与えます。私はこの枠組みを用い、ブラックホール解の構造を通じて、強結合場の理論における相転移および輸送現象の解析を行ってきました。
代表的な研究の一つが[23]です。そこでは、ゲージ重力対応が成立する場の理論の低エネルギー極限において、準粒子近似が成立する条件と非フェルミ流体が現れる条件を系統的に調べました。その結果、真空の対称性により決まる二つのパラメータの組合せによって、非フェルミ流体の出現が判別できることを示しました。
物性理論への架け橋2:一様だが、単純な並進対称性をもたない強結合場の量子論の真空の分類
また[24], [29]では、強結合の場の量子論の真空が空間的に一様でありながら並進対称性を必ずしも保持しない場合について、対応する重力解(より正確にはブラックホールのホライズン幾何)を Bianchi 型の分類を用いて体系的に整理しました。
一様性は保たれるが並進対称性を仮定しない真空構造の分類は、ホログラフィーの文脈において重要な基盤を与えるものです。本研究はその後の発展の出発点の一つとなり、教科書にも紹介されています。例えば、Zaanen–Liu–Sun–Schalm による教科書
Holographic Duality in Condensed Matter Physics
(第12章 “Breaking Translational Invariance”)では、本研究およびその発展が中心的に取り上げられています。
なお、高温超伝導系で議論される非対称な真空構造は、重力側では Bianchi VII 型の幾何に対応します。
[24] N. Iizuka, S. Kachru, N. Kundu, P. Narayan, N. Sircar and S. P. Trivedi,
"Bianchi Attractors: A Classification of Extremal Black Brane Geometries,"
JHEP 07, 193 (2012) doi:10.1007/JHEP07(2012)193 [arXiv:1201.4861 [hep-th]].
[29] N. Iizuka, S. Kachru, N. Kundu, P. Narayan, N. Sircar, S. P. Trivedi and H. Wang,
"Extremal Horizons with Reduced Symmetry: Hyperscaling Violation, Stripes, and a Classification for the Homogeneous Case,"
JHEP 03, 126 (2013) doi:10.1007/JHEP03(2013)126 [arXiv:1212.1948 [hep-th]].
*6 例えばランダウ-リフシッツ:「場の古典論」
物性理論への架け橋3:永久電流に双対な重力解、およびLandau-Tiszaの超流動二流体モデルの関係式
前述の並進対称性をもたない時空の分類と関連して、並進対称性が破れた超伝導状態における永久電流に対応する重力解を構成しました[34]。外場を加えない状況で永久電流が存在する超伝導相に双対な時空を、Einstein方程式の数値解析により構成したものです。
この重力解をホログラフィーの観点から解釈すると、Landau と Tisza による超流動二流体モデルの関係式が自然に導かれることが分かります。
物性理論は、ハミルトニアンを明示的に構成できるという利点をもち、強結合場の量子論を具体的なモデルのもとで検証できる理論的基盤を提供します。その意味で、ホログラフィーの枠組みが強相関系にどこまで適用可能であるかを探る上で重要な役割を果たします。このように、物性理論への応用はゲージ重力対応の展開の一つとして位置づけられ、現在も継続して研究を進めています。
*8 我々とは独立に、SonnerとWithersの論文でもこの公式を重力側から発見しています。
宇宙論への架け橋:フラックスコンパクト化とmoduli問題を解決した超弦理論インフレーション
超弦理論は10次元で定式化されるため、4次元物理を得るには6次元をコンパクト化する必要があります。しかし、Calabi–Yau 空間による単純なコンパクト化では、多数の質量ゼロのモジュライが現れます。これらのモジュライは観測と整合しないだけでなく、初期宇宙におけるビッグバン元素合成などの標準宇宙論とも整合的である必要があります。そのため、モジュライは適切に安定化されなければなりません。
フラックスコンパクト化はモジュライ安定化の有力な機構を与えますが、同時にインフレーションを担うインフラトン場にも質量を誘起するという課題があります。研究[6]では、この問題を回避するコンパクト化の構造を具体的に検討し、モジュライ問題を解決しつつインフラトンの軽さを保つ枠組みを提示しました。
本研究は、超弦理論と宇宙論を接続する一例となっています。
*9 このモデルで重要なポイントはCalabi-Yau空間内に局在した2つのブラックホールである。本論文のポイントは、この2つのブラックホールの中心ではインフレーションに必要なフラットな方向を持ち得るという点にある
このように、私の研究は量子重力およびブラックホールを基点としつつ、物理学の複数の分野へと展開してきました。これらは個別に独立したテーマとして進められたものではなく、ゲージ重力対応という共通の理論的枠組みに基づいて発展してきたものです。
弱結合の弦理論におけるブラックホールの解析が、強結合ゲージ理論の非摂動的現象の理解と結びつくという視点は、これらの研究を貫く基本的な構造です。
今後は、ゲージ重力対応の応用にとどまらず、その枠組み自体の深化を目指すとともに、極限状態の宇宙や強結合量子系の理解へと研究を広げていきたいと考えています。近年は特に、ホログラフィーと量子情報理論の接点にも関心をもち、関連する研究を進めています。